和田町の和田村橋の改修
八王子街道は古くは八王子往還と呼ばれていた。今ではこの名前は死語同様になり、単に16号と呼ばれている。八王子という言葉は遠隔地というイメージに繋がるせいだろうか。
古老はマッカーサー道路と言っていたとも漏れ聞く。マッカーサーが厚木から東京へ来るために、真っ直ぐな道路を作ったとされている。
今は広い交差点になって便利になった和田町交差点、10数年前までは車では16号線から仏向町・坂本町の水道道の方へは行けなかった。
便利にはなったが広い交差点のため危険度も低くはない。進入直前の信号が黄色になった場合、交差点の中ほどで赤に変わり立ち往生することもある。この時は左右から来る車がちょっと怖い。
この和田町交差点の近くに和田村橋改修記念の碑がひっそりと立っている。江戸中期にはこの辺りは難路であったという。和田村の住民と川島村の住民が、協力して道路を改修して橋をかけた。1737年の事である。
この時の資金は、江戸在住の櫻井茂左衛門が提供したと記録されている。当地にゆかりを持つ篤志家であったようだ。
和田町交差点の跨線橋の下には宮崎橋があり、市の道路局が水位観測所を設置して帷子川の増水を監視している。車道の跨線橋は人が通れないため、宮崎橋が人道橋になっていて、自転車も通れるようになっている。
この宮崎橋は帷子川の下をくぐるトンネルとなっている。
記録がないため定かではないが、状況からしてこの宮崎橋が往年の和田村橋と思われる。和田村橋の名はいま和田町駅前の「和田橋」にその名を残している。或いはこちらが古の和田村橋であったか。