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今井城の埋蔵金

 

保土ヶ谷区の今井町は、交通はやや不便なものがあるが、市街化調整区域が多くを占めていることもあり緑の豊かなエリアである。広い町域で構成され小高い丘陵地帯の感もある。この今井町に山城があった事はあまり知られていない。

 

この山城は今井砦と呼ばれることもあり、金剛寺の東方にある稲荷社(鳥居)の西側に位置しており今井城と言われている。現在も山城の痕跡を留めてはいるが、稲荷社と一体化しているようだ。ここは城山稲荷と呼ばれることもあり、地図上にも今井城跡や城山園の名前が記されている。

 

古くは今井城は、平安時代の武将木曽義仲の近臣であった今井四郎兼平の居住地であったと言われている。同説を真実と断定は出来ないものの「今井」の名前からは関連性が窺える。この今井城は小田原北条氏の支配下にあったとみられる。歴代の城主には小笠原氏、谷氏、小幡氏などが名を連ねると言う。

 

ともあれ今井城は室町時代初期の築城とされ、城の規模は南北300m東西200mに亘る、かなりの広さを持っていて標高は87メートルである。

 

城跡からは「1304年5月」の年月日が、記載された板碑が出土していることから、同年には何らかの施設が存在していたであろうとの理解が成り立つ。この板碑はいまなお金剛寺に保管されているという。

 

今井城から南に下った所にある今のバス通りは、鎌倉古(街)道であったといわれており、今井城は鎌倉を守り街道を監視する役割を持っていたらしい。

 

 ところで昭和30年にこの稲荷社から、400キロと言われるほどの大量の古銭が発掘された。稲荷社に隣接する柘植の木の根本に常滑焼の大きな甕が埋められており、古銭はその甕の中に入っていた。古銭は永楽通宝や宗や明の通貨が多かったことから、戦国時代に埋納されたとの推測できる。この大甕も今に伝えられている。                   

 

                  

 稲荷社の南側にある清水家は古い家柄で、江戸時代には名主を務めていた。清水家には先祖の位牌などから、今井城の城代を務めていたと伝わっている。江戸時代になると、今井村は徳川家康の家臣・有田九郎兵衛の領地となった。

 

九郎兵衛は近くに居館を建てたため、無人となった今井城は戦のない時代でもあり自然に廃城への道をたどることになった。何はともあれこの埋蔵金ともいえる大量の古銭を埋めた理由としては、今井城が窮地に陥った際のデポジットと考えられる。実際に、今井城が攻められたことがあったのかどうかは未調査のままである。

 

稲荷社および南側一帯の土地は清水氏の所有であることから、同氏が小田原落城に際して、没収を恐れ埋納したのかもしれない。同家には古文書が伝わっているが、埋蔵古銭についての記事は見られないようで今だに謎のままである。

強者が集った今井城も今は林の中に埋もれ、土塁と空堀だけが梢を渡る風の音を聞いて、静かに散っていく木の葉を見つめ静かに長い眠りについている。