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 畠山重忠と首洗い井戸

 

「いざ鎌倉へ」鎌倉古道は上っ道、中っ道、下っ道の三本があった。招請を受けた(姦計説あり)畠山重忠は武蔵・比企から中っ道を通って鎌倉へ馳せ参じた。当時の武者は武具一式・馬など全て自腹・自弁である。


途中、万騎が原に北条時政の大軍が待ち受けている事が分ったが、嫡男が斬られた事を知り、重忠はこの場で潔く決戦・討死を決意した。鶴ヶ峰の麓の帷子川を挟んで両軍は対峙した。

 

死を決意した重忠軍は奮闘し激戦は4時間に亘って繰り広げられた。しかし重忠軍は一族郎党とも140人程であったため、多勢に無勢で全員運命を共にして討ち死にするに至った。


 周辺には重忠公の首を洗い清めたと云われる首洗い井戸、首塚、郎党の眠る六つ塚、駆けつけた妻が自害し、埋葬された駕篭塚など多くの史跡が今に残っている。

 

この時二俣川は水深があり、鎧は頭上に持ち上げて渡ったと云われている。この事から鎧の渡し・越場の名前が残った。鶴ヶ峰駅前みずほ銀行の前の小さな橋は今も「鎧橋」と呼ばれている。


 現在の厚木街道と水道道が交差し、帷子川と二俣川が合流する所から
16号線の辺りまでが主戦場になったようだ。ここには古戦場の大きな石碑が建てられている。

 

一族郎党が葬られたという六つ塚は薬王寺の境内にとびとびに六個あり、その伝承の確かさが窺われる。


 

      重忠公の供養は今も篤く行なわれている。 薬王寺     

                               

           旭区役所近くの史跡

    

      
    薬王寺に眠る一族郎党      六つ塚の一つの前に立つ地蔵尊  
    
 急を聞いて駆けつけた奥方は、重忠の戦死を知って駕篭の
中で自害したとされる。