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  両郡橋の名前の由来

 

知る人ぞ知る桜の名所が両郡橋。帷子川の川面の上に、長く延びた桜の枝に春になると、ピンクの桜花がたわわに咲き乱れ、そよ風に揺られる情景は見ごたえがある。

 桜の花は青空に映え、花の下を流れる浅い清流の水音とあいまって、自然と癒され心も和んでくるよう。

 この桜の季節には、日本人であることの幸せが改めて思い起こされ、自分はやっぱり日本人なんだと自覚も蘇ってくる。

 

 さて「両郡橋」のちょっと変わった名前の由来であるが、昔この場所は郡境だった事により名付けられたと言われている。

 上星川駅から3分ほどの通称「水道道」の、帷子川に架けられているこの橋の名前を知っている人は少ない。


 歩いて渡れば、6~7歩で通り過ぎてしまう事もあるのだろう。橋の袂にある両郡橋交番のなまえから、かろうじて橋の名前と推測している人もいるかもしれない。


 昔、両郡橋より和田町側は橘樹郡坂本村と呼ばれ、両郡橋より西谷よりは都筑郡上星川村と呼ばれていた。

 この両郡橋を境に郡名が変わることから「両郡橋」と呼ばれるようになり、今に至っている。

 

いま仏向町に「橘中学」があるが、これは橘樹郡の名残りであろうと思われる。仏向町なら通常は、仏向中学と名前が付きそうなものであるが、そうはなっていないことにより古い郡名の名を残したものと推測が成り立つ。


また一説によると、橋よりも和田町側が橘樹郡保土ヶ谷村で、橋よりも西谷側が都筑郡西谷村であったとする人もある。


 この村名のどちらが正しいのかは、郷土史の文献をめくるか、明治の古地図を調べる必要がある。或いは時期によって村名が変わったものか。?